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都市センシング

街角のセンサーは何を見ているか——都市センシングの現在地

街角のセンサーは何を見ているか——都市センシングの現在地

要点

  • 街路に設置されたセンサーは、交通量や人流、環境の数値を測り、都市の運用や計画の材料にしている。
  • 便利な反面、何を測り、どこへ送り、いつまで残すのかが歩行者の側からは見えにくい。
  • 国土交通省や自治体が進めるスマートシティの取り組みは、データの利活用と説明責任の両立を課題に挙げている。
  • 設置情報の一覧公開や保持期間の明示といった、見えるようにする工夫が次の焦点になる。

夕方の交差点に立ち、信号機の支柱を見上げてみる。カメラのような筐体、箱型のセンサー、用途のわからない小さな機器がいくつも取り付けられている。それぞれが何を測っているのか、表示はない。歩行者として日々通り過ぎる場所が、実は無数のセンサーに見守られている——いや、測られている。都市センシングの現在地を確かめるため、ひとつの街区を歩いてみた。

街は何を測っているか

都市に設置されるセンサーの目的はさまざまだ。交通量を数えて信号を最適化する。人流を測ってイベント時の混雑を捌く。気温や騒音、大気の状態を記録して環境施策につなげる。国土交通省が進めるスマートシティ関連の取り組みでは、こうしたデータの利活用が都市運営の効率化や防災に役立つと位置づけられている。実際、現場を歩くと、計測の密度は想像より高い。

多くのセンサーは個人を特定する映像を保存しないよう設計されている。人を「数える」のであって「見分ける」のではない、という建て付けだ。だが、その建て付けが守られているかどうかを、通りすがりの歩行者が確かめる手段はほとんどない。

見えなさの三層

都市センシングの見えにくさは、複数の層に分かれている。まず、そこにセンサーがあること自体が気づかれにくい。次に、あると気づいても何を測っているかがわからない。そして、測ったデータがどこへ送られ、いつまで残るかは、さらに見えない。エッジで一次処理する構成が増えたことで、データの流れはいっそう追いにくくなった。

もっとも、見えにくさは悪意の産物とは限らない。多くは、表示する場所がない、説明する様式が決まっていない、といった運用上の理由による。一方で、理由が善良であっても、見えないという事実は変わらない。歩行者の不安は、悪用の有無ではなく、確かめられないことそのものから生じる。

見えるようにする工夫

次の焦点は、測ることの是非ではなく、見えるようにする工夫だ。どこに何のセンサーがあるかの一覧を公開する。収集データの保持期間を明示する。問い合わせ窓口を示す。こうした地味な開示が、都市センシングへの信頼を支える。保持期間をめぐる議論は、まさにこの開示の核心にあたる。

測られる側として観測する

街区を一周して感じたのは、私たちが都市センシングについて「測る側」の論理ばかりを聞かされてきた、ということだ。効率や防災といった言葉は、いずれも測る側の語彙である。観測誌の立場からは、測られる側として街を歩き直したい。裏を返せば、測られる側に説明が届いていないなら、どれだけ有用なデータも、いつか信頼を失う。見えるようにする工夫こそが、都市センシングを持続させる条件になる。

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